力の本当の意味

「力」のつく熟語を10個述べよ、というクイズが出たとしたら
一体いくつ出てくるだろう。

まず一番目に浮かぶのは「経済力」ではないだろうか。
「体力」かもしれないし、「人間力」かもしれない。

「力」は人間の潜在的な欲求なのだろうか。
軍事力は国の中で大きなウエイトを占めている。
経済力はいうまでもない。

企画力や想像力、指導力・・・人よりも優れているという証明が
「力」としてあらわされる。

あらゆるものの基本は重力であり、地球のすべては重力によって支えられている。

人間は「火力」を発見し、肥大化したその力は、遠く太陽の「力」を真似て
「原子力」を創り出した。
我々が生物として生きているのは、自分が創り出した人間力や経済力ではなく、
生命の力によって生かされている。

「生命力」は人間だけに当てはめられるものではない。
あらゆる生き物の総合的な力である。
「火力や原子力」をライオンが必要とするだろうか。
我々人類はある種の成長をとげたが、戦いに必要な軍事力を「成長」と呼べるだろうか。
経済という力で人を思い通りにさせることは、この先も必要なのだろうか。

与っている本能的・遺伝的な「力」は思考力であったり、生き延びようとする
「生命力」ではないだろうか。

「力」の本当の意味を理解し、その「力」で何ができるかを考える時、
経済力で更なる力をつけるということが、未来から見て、ほとんど
意味のないことに気づくだろう。

「力」には静の部分と動の部分があり、どちらかというと「静」の方に
本当の意味がある気がする。

精神力、決断力、想像力は「個」としての生き物、
「ひとりの人間」、「人生」に彩をもたらす。
人に対しての威圧であったり、社会が作り上げたシステム上の力、
即ち「経済力」とは次元の異なる「力」なのではないだろうか。


「生命力」はもともとDNAとしてひきつないで来たものであり、
「寿命」が個人として特定できないが故のものとして
本能的に何か力がほしいのではないだろうか。

お金を価値の基準とする時代からの脱却はそう簡単ではない。
資本主義は誰かが考えた「やり方」であり、
その中で大小の企業が合戦をし、その中で個々の人が働いている。
システム上の不具合はあるとしても、簡単にそれを修正できないのは
ずっとそのシステムの上でしか生きてこなかったからである。

「力」を自分の立場の上に置かず、
企業によって支えられた「力」をもっと分散し、
本当の意味での「力」(ある種の人間力)を確保することは、
むしろ新しいかたちの企業やサラリーマンに生まれ変わるチャンスだ。

力をもう一度考えてみよう。
未来に残すべき「力」を。

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