夢のあり方は変化する
生きることに必死なとき、夢はどんな形でその生活の中にあるのだろう。
ある程度生活が安定し、豊かさに慣れてくると、人が見る夢は「現状を変えたい」という願いから始まり、これまで築いてきたものを超える形で見えてくる。
自由とは何か
昔から見れば夢のような生活をしているはずなのに、それが現実となり、安定してしまうと、変化は少なくなる。
しかし夢はそこで止まらない。いつまでも追いかけてしまうのは、人の自由でいたいという本能なのかもしれない。
本当の自由とは、環境や立場を捨てることではなく、精神的なものである。
結婚や離婚といった制度を理由に自由を語っても、本質的には「自分自身の心の自由」を置き去りにしているだけなのだ。
また、転職や離職も同じく、お金や立場に縛られ「本当にやりたいこと」を見ないようにしているに過ぎない。
夢と現実のバランス
夢は広がりを持ちながら、ときに現実を壊すこともある。
だからこそ「それが自分の本心からの夢なのか、それとも逃げなのか」を見極める必要がある。
夢を語ることで現実が苦しく見えてしまうこともあるが、楽しさの中に夢を置けたとき、その苦しみはエネルギーへと変わる。
仕事と自由
私にとって仕事そのものが苦しいわけではない。
むしろ、仕事の中に「自分らしい自由」が見つからないことに苦しんでいた。
人との接点が少ないものづくりの現場だからこそ、人を中心にした仕事観を持ちたいと思うようになった。
それは大きな革命ではなく、小さな「静かな革命」である。
職人という立場は、強さと同時に弱さを持っている。
自由に生きたいと願いながらも、仕事や人間関係に縛られることの方が多い。
だからこそ「人の中に自分がいて、自分の中に人がいる」――そんな感覚を大切にしながらものづくりをしたいのだ。
自転車で世界一周という挑戦

かつて私は自転車で世界一周に挑戦したことがある。
それは未来への不安を和らげる「鎮静剤」のようなものであり、同時に危うい「麻薬」でもあった。
けれどその経験があったからこそ、今も夢を追い続ける自分でいられる。
夢はつながりの中にある
夢は一人で完結するものではなく、人とのつながりの中で生まれ、次の世代へと受け継がれていく。
50年という年月をかけて実感したのは、夢と生きることは同じ意味を持つ、ということ。
夢があるから生きられ、生きているから夢が生まれる。
そのシンプルな真実を、これからも問い続けていきたい。