キテハ食堂の今(20年2月1日現在)

Allmendeアルメンデキテハはまだ始動前である。その目的のための食堂はすでに昨年10月1日にオープンしている。
約4ヵ月の間にそれなりのストーリーが生まれており、すでに1000人以上の方が訪れ、カフェとしては異例のスピードで認知されつつある。

古民家カフェはいたるところにあるが、その多くは「コミンカ」を売りに出している。
古民家の持つ力はノスタルジックなその雰囲気であるが、現実的な生活と少し「趣」の違う場でしかない。
そこにある生活感や未来を感じたり、自分もそこに住みたいと思えない以上、何らかのブームで終わる。

キテハはほとんどその「趣」を感じさせるものはない。
かといって白々とした薄っぺらさもない。無理やり古民家を演出した訳でもなく、外観は確かに古い家ではあるが、中は木と工のコラボでできた新しい空間に仕上げている。
中庭は芝生、暖房はチップボイラーを用いたパネルヒーター、食事はごく普通の主婦の作る家庭料理。
これといった売りや主張は少ない。

キテハ食堂は、「大切なもの」を大切にしている。
ゆっくり会話が弾む場としての役割と、おいしいものを楽しんで食べるという食堂本来の役割だ。
小さな子供も老人も子供を連れた夫婦も食事に出かける楽しみを感じてもらっているのではないだろうか。

「大切なもの」とは「繋がり」つまり「時間」なのではないだろうか。
食材は手をかけて作り、人との繋がりの中で得られたものを大事に使うこと。
時間をかけて自分たちで作った店に手作りの食材を提供する。
これは思い描いていた家族労働の姿そのものである。

キテハ食堂の目的は、「カフェ」ではなく「Allmendeキテハ」という私学である。
理想ではなく自分たちの思い描く未来に一歩でも近づくために思いつくことを意識し、キテハ食堂そのものが次の時代に活かされればいい。

次の時代。どんなイメージなのかは想像するだけでは不十分である。
実践し見える化することが最大のポイントである。

今までからある食堂を越えて、共有地であるというイメージを定着させたい。
所有の対極にあるのではなく、「所有」という感覚を消せば全てが「共有」であることが分かるはずなのであるが、時間がかかるであろう。

10年後のキテハを想像するとき、今何ができるのかを問うことになる。

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